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千葉地方裁判所 昭和53年(ワ)39号 判決 1982年2月23日

甲事件(原告兼乙事件被告) 磯崎孝雄

甲事件(被告) 千葉県

乙事件(原告) 国

代理人 細井淳久、川住純一、高野幸雄、大池忠夫 ほか四名

乙事件(被告) 山田敏夫 ほか一名

主文

一  乙事件被告磯崎は、乙事件原告国に対し、別紙物件目録記載の土地について、明治三九年七月四日売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

二  乙事件被告山田は、乙事件原告国に対し、前項記載の土地について、千葉地方法務局船橋支局昭和五二年五月一一日受付第二三、二二一号をもつてされた根抵当権設定登記および同年六月三日受付第二七、三八〇号をもつてされた所有権移転請求権仮登記の、各抹消登記手続をせよ。

三  甲事件原告磯崎の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、甲・乙両事件を通じ、甲事件原告兼乙事件被告磯崎、乙事件被告山田の負担とする。

事実

第一申立

一  (甲事件)

(一)  甲事件原告兼乙事件被告磯崎孝雄(以下、単に「磯崎」または「磯崎孝雄」という)

「磯崎と被告千葉県(以下、単に「県」という)との関係において、別紙目録記載の土地(以下、「本件土地」という)は、磯崎の所有に属することを確認する。

訴訟費用は県の負担とする。」

との判決を求める。

(二)  県

原告の請求棄却、訴訟費用原告負担との判決を求める。

二  (乙事件)

(一)  乙事件原告国(以下、単に「国」という)

「(一) 磯崎は、国に対し本件土地について、明治三九年七月四日付売買または大正九年四月一日付もしくは昭和三〇年三月四日付時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

(二)  乙事件被告山田(以下、単に「山田」という)は、国に対し本件土地について、千葉地方法務局船橋支局昭和五二年五月一一日受付第二三、二二一号をもつてされた根抵当権設定登記の、同年六月三日受付第二七、三八〇号をもつてされた所有権移転請求権仮登記の各抹消登記手続をせよ。

(三)  訴訟費用は、磯崎、山田両名の負担とする。」との判決を求める。

(二)  磯崎、山田両名

1 磯崎関係

原告の請求棄却、訴訟費用原告負担との判決を求める。

2 山田

第一次的に「原告の請求却下」・第二次的に「原告の請求棄却」ならびに「訴訟費用原告負担」との判決を求める。

第二陳述した事実

(甲事件)

一  甲事件請求の原因

(一) 本件土地は、もと磯崎孝雄の先代磯崎勘兵衛(以下、単に「先代勘兵衛」という)の所有にかかるものである。本件土地は、明治三九年二月二日、千葉県東葛飾郡船橋町九日市字芦田一一七九番畑二反九畝二二歩から分筆されて、同番の二畑六畝二四歩となり、明治三九年六月一四日先代勘兵衛において、保存登記(旧登記法一〇五条による登記)をしたものである。

(二)1 先代勘兵衛は、明治四〇年一月二七日死亡し、相続により法定家督相続人(孫)である磯崎(孝雄)がその権利義務を承継した。

2 そして、磯崎は、右相続により、本件土地の所有権を取得し、昭和五一年四月二一日その旨の所有権取得登記を了した。

(三)1 ところで、本件土地は、明治三九年七月頃、事実上道路となつていたところから、地目が道路と変更され、かつ、同時に地租も免除された。

2 そして、県は、本件土地を県道船橋停車場線として公衆用道路として使用している。

3 県は、本件土地が磯崎の所有に属することを争つている。

(四) よつて、磯崎は、県との関係において、本件土地が原告の所有に属することの確認を求める。

二  甲事件の答弁および抗弁

(答弁)

請求原因事実中、(一)は認める。(二)のうち、1は不知。2のうち、磯崎主張の登記がされたことは認め、その余は否認する。(三)のうち、1について、本件土地が明治三九年七月頃地目が道路と変更され、かつ同時に地租が免除されたことは認め、その余の部分は不知。2および3は認める。(四)は争う。

(抗弁)

(一)  売買による所有権移転

国は明治三九年七月四日先代勘兵衛から本件土地を買い上げて所有権を取得し、先代勘兵衛は、所有権を喪失した。詳しくは乙事件請求原因の国の主張を援用

(二)  時効による国の所有権取得

国は、本件土地を大正九年七月九日(または昭和三〇年三月四日)から、所有の意思をもつて平穏かつ公然と占有をはじめたからそれから二〇年である昭和一五年七月九日(または昭和五〇年三月四日)の経過をもつて、国は所有権を取得した。詳しくは、乙事件請求原因の国の主張を援用

三 甲事件の抗弁に対する認否

抗弁(一)および(二)とも否認する。詳しくは乙事件の請求原因の認否と同一であるから、これを援用する。

(乙事件)

一  乙事件請求の原因(国)

(一) 売買による所有権取得

1 国は、先代勘兵衛からその所有にかかる本件土地を明治三九年七月四日に買い受けてその所有権を取得した。

2 右売買は、本件土地の旧土地台帳に、「明治三九年二月二日一、一七九番ヨリ分裂」「三十九年七月四日買上道路敷ニ付同年七月六日除租ニ付左ニ掲記ス」と記載されていることから推認することができる。

3 本件土地はもともと土地収用法(明治二二年法律一九号、(以下、単に「土地収用法」という)により収用さるべき土地であつた。すなわち

(1) 県は、仮定県道船橋停車場線(以下、「本件仮定県道」という。)の修築を行うこととし、明治三二年五月六日その工事請負入札の公告をした。

(2) 内閣は、土地収用法二条に基づき本件仮定県道改修工事に要する土地を公共の利益のため必要と認定し、土地収用法によりこれを収用することを許すこととし、明治三二年六月六日その旨の公告をした。

(3) これをうけて、千葉県知事は、明治三二年六月一六日本件仮定県道改修用地として収用すべき土地の細目を告示したが、本件土地はこれに含まれていた。

(4) その後、右収用すべき土地の細目の告示に含まれた土地について任意買収手続が進められ、本件土地及び千葉県東葛飾郡船橋町九日市字芦田一一八〇番一の土地を除いたその余の土地については、明治三四年二月までに内務省が任意買収を完了している。(ただし、所有権取得登記の日は、明治三九年五月三〇日及び同年六月二〇日である。また、千葉県東葛飾郡船橋町九日市字芦田一一八〇番一の土地については、大正三年六月三〇日に内務省が任意買収している。)。これと前後して本件仮定県道改修工事が進められ、右収用されるべき土地の細目の告示に含まれていた土地は、すべて本件仮定県道の道路敷地となつた。

(5) 以上のとおりであり、本件土地についてのみ任意買収ができない特段の事情も存在しないから、本件土地も前記収用すべき土地の細目の告示に示された他の土地と同様、内務省により任意買収されたものと推認すべきである。仮に、本件土地を任意に買収することができなかつたのであれば、土地収用法により強制収用することができ、また、現に道路敷地として使用すべき必要があれば担当行政庁においてそうすべきであつたのに、本件土地についてそのような手続が取られた形跡はないのであり、このことからも任意買収されたものと認めるのが相当である。

4 磯崎孝雄への相続登記について

(1) 本件土地の家督相続を原因とする磯崎への所有権移転登記は、家督相続が開始されたときから六九年以上も経過した昭和五一年四月二一日にされている。

(2) ところで、磯崎が右家督相続により取得した土地は、本件土地のほか船橋市本町一丁目一一七九番一他七筆合計八筆(いずれも未登記)(総計九筆)であつたが、磯崎は、これらの土地について家督相続開始直後である明治四〇年三月一一日被相続人先代勘兵衛の家督相続人名義で所有権保存登記を経由している。

(3) したがつて、先代勘兵衛が本件土地を田に売り渡していなかつたとすれば、右(2)の所有権保存登記と同時に所有権移転登記を経由することができたはずであり、また、当然そうすべきであつたのに、磯崎はこれをしていない。このようなことから考えれば、先代勘兵衛が本件土地を国に売り渡していたため、磯崎において本件土地の家督相続を原因とする所有権移転登記を経由しなかつたものと推認すべきものである。

5 本件土地の保存登記について

本件土地は、明治三九年六月一四日先代勘兵衛により保存登記されているが、同人の所有していた前記九筆の土地は、この時点ではすべて未登記であり、右保存登記のされた日時は、本件土地の旧土地台帳に記載された「買上」の日である明治三九年七月四日の直前である。とすれば、先代勘兵衛が自己の所有地のうち本件土地だけを保存登記する特段の事情が存在しない限り、国への売渡しを前提として、その所有権移転登記をするために右保存登記をしたものと推認すべきである。

6 以上のとおり、国は本件土地を売買により所有権を取得したものである。

(二) 取得時効の完成による所有権取得

1 国は、おそくとも大正九年七月九日から所有の意思をもつて、平穏かつ公然に本件土地の占有をはじめた。

(1) 国の行政庁たる千葉県知事は、本件土地を含む道路について、大正九年四月一日旧道路法(大正八年法律第五八号)一一条の規定により県道二七号線船橋停車場線として路線を認定した(乙第二号証)。

そして、本件土地を含む県道は、すべに明治三九年に事実上道路として供用されていたから供用関係が開始され、同年七月九日同法一九条によりその道路の区域を決定し(乙第六号証)、以来、これを県道として管理し、国は、本件土地の占有をはじめた。

(2) 爾来、国は、所有の意思をもつて、二〇年間平穏かつ公然に本件土地を占有していた。

(3) よつて、国は、昭和一五年七月九日の終了をもつて時効により、本件土地の所有権を取得した。

2 国は、少なくとも、昭和三〇年三月四日から、所有の意思をもつて、平穏かつ公然に本件土地の占有をはじめた。

(1) 国の機関たる千葉県知事は、本件土地を含む道路について、昭和三〇年三月四日道路法(昭和二七年法律一八〇号)七条により県道三九号船橋停車場線として路線を認定し、同法一八条により、その道路の区域を決定してその供用を開始し、以来、これを同法一五条により千葉県に管理させて、本件土地の占有をはじめた。

(2) 爾来、国は、所有の意思をもつて、二〇年間、平穏かつ公然に本件土地を占有していた。

(3) よつて、国は、昭和五〇年三月四日の終了をもつて、時効により、本件土地の所有権を取得した。

(三)1 先代勘兵衛は、明治四〇年一月二七日死亡し、家督相続により孫である法定家督相続人である磯崎孝雄がその権利義務を承継し、かつ、昭和五一年四月二一日受付第一九五五四号をもつて、本件土地の所有権取得登記を経ている。

2 よつて、国は、所有権に基づいて磯崎孝雄に対し、本件土地について、明治三九年七月四日付売買を原因として、または選択的に大正九年七月九日(もしくは昭和三〇年三月四日)時効取得を原因として、所有権移転登記手続を求める。

(四)1 乙事件被告山田敏夫(以下、単に「山田」という)は本件土地について、昭和五二年五月一一日受付第二三二二一号をもつて、同日付根抵当権設定契約を原因として根抵当権設定登記(以下、「本件根抵当権登記」という)を、同年六月三日受付第二七三八〇号をもつて、同年五月一一日付代物弁済の予約を原因として、所有権移転請求権仮登記(以下、「本件仮登記」という)を経ている。

2 しかし、右代物弁済予約契約は存在しないから、本件仮登記は無効である。

3 本件根抵当権登記の原因たる根抵当権設定契約および本件仮登記の原因たる代物弁済予約は、いずれも磯崎孝雄と山田敏夫とが通じてなした虚偽の意思表示であつて無効であるから、本件根抵当権登記および本件仮登記は無効であり、抹消さるべきである。

4 山田敏夫は、背信的悪意者であるから、国は、山田に対し、本件土地の所有権の取得をその登記なくして、対抗することができる。

(1) 山田は、本件土地について、旧土地台帳に国がこれを買上げた旨の記載のあること、また、千葉県がこれを国有の県道敷地として受理していることを知り、しかも、県が磯崎孝雄に対しその所有権移転登記について協力を求めていることを知つていた。

(2) ところが、山田は、本件土地について国に所有権移転登記のないことを奇貨として、磯崎に所有権確認訴訟を提起させて、磯崎が勝訴したときには国がこれを買収しなければならないものと期待し、その代金を磯崎と分配しようと企てたため、利息も定めないで継続的取引契約を結んで根抵当権を設定してその旨の設定登記をしかつ存在しないか少なくとも、虚偽表示で無効である代物弁済予約を原因とする所有権移転請求権仮登記および本件根抵当権登記を経たものである。

(3) 山田は、いわゆる背信的悪意の第三者として、民法一七七条による保護を受けることができない。

5 よつて、国は、本件土地の所有権に基づき、山田に対し本件根抵当権登記と本件仮登記の抹消登記を求める。

(五) 反論に対する再反論

反論(一)についてのみ

ある土地について、これを公衆用道路に供することと、その地租を免除する手続とは、全く別個であり、前者には国等が買上げ、寄付を受け、私有のままであることもあるが、後者は、公衆用道路に供される原因を問わず、その実体に注目して行なわれた(丙第三五号証、丙第三六号証参照)。

本件土地についても、かりに買上げられることなく亡先代勘兵衛が免租の申告をなしたものとすれば、旧土地台帳には「何年何月道路成」と記載されたはずでまた、それで十分であつたところ、「三十九年七月四日買上道路敷」とまで記載されていることからみれば、それは、むしろ、明治三二年四月一〇日地租条例施行上取扱方内訓(丙第三六号証)による千葉県知事の買上げ通知により税務署長において除租の取扱をなしたものと推認すべきである。もし買上の事実がなければ、「四日買上」という無意味な記載をする必要はない。

二  答弁および反論

乙事件の請求原因事実中、(一)について、1のうち、本件土地がもと先代勘兵衛の所有に属したことは認め、その余は否認する。2のうち、本件土地の旧土地台帳に、国主張の記載のあることは認めるが、売買を推認すべきことは否認する(詳しくは、反論の項参照)。3について本件土地については国において強制力を要することなく、事実上、所有者の意思にかかわりなく、公衆により通行の用に使われていたのであり、事業遂行上の必要からみると、あえて本件土地について土地収用を必要とする事情はなかつた。4および5について本件土地のみが明治三九年二月二日に分筆(分裂)され、同年六月一日に単独に保存登記されたことは争わないが、それが磯崎側における除租申請のためか、売渡目的のためか詳かではないが、本件土地が仮定県道予定地に指定されたものとしても後記反論で述べるようにその他の関係者すなわち石井清太郎、杉山ミキ、秋山周蔵、清川澄、磯崎竹松等の場合は「何年何月何日内務省買上げ」と明記されているのに対し、本件土地の場合は内務省なる文字は全く使われておらず、かつ「道路敷ニ付」ということで除租となつており当面の分裂保存登記はやはり除租のためにされたものとみるべきである。結局、本件土地に売買の交渉があつても折合いがつかず、後日に持越したものと考えられるのである。

(二)について、1のうち、(1)について争う。たとえ県道としての道路認定がされ、供用開始行為がされたとしても、本件土地について取得時効のもととなる占有権原を取得したことにはならない。そして、公衆用道路は営造物に該当するところ路線の認定、次に路線に従い道路の区域を決定し道路の新設をなし、公用を開始してはじめて道路たる営造物を構成することになる。

ところで本件土地は、大正九年四月一日当時にはすでに道路化しており、それが路線として認定され、同日供用開始がされたとしても、これをもつて所有者としての本件土地の占有開始があつたものと認めることはできない。(2)および(3)は争う。2の(1)について国が本件土地の占有を開始したことを争う。(2)および(3)は争う。(三)の1について認める。2は争う。(四)の1について認める。2および3は否認する。4の(1)および(2)は否認する。(3)は争う。国は、かりに所有権を取得したとしてもこれを山田に対し主張・対抗しえないから山田に対する本件請求は却下さるべきである。

(反論)

(一)  本件土地の土地台帳の除租の記載について

地租条例四条では「公衆ノ用ニ供スル道路ハ」とは少くとも公けにおいて、当該道路について公衆の用に供するための権原を設定したうえでのものであり、私人の所有地が当該私人の意思にかかわらず、事実上「公衆ノ用ニ供」されている場合の道路については、直ちに私人の意思とかかわりなく、なんらの手続を要することなく当然に除租されるというものではない。

本件土地は、仮定県道改修用地として収用されるべき土地に含まれていることから「買上げ」という便宜措置をとつたものであり、本件土地について、道路敷であることのみをもつて除租されたという訳ではない。

(二)  本件土地周辺の土地の分筆経過などからみた本件土地の売買の不成立

明治三二年六月一六日、仮定県道改修用地ノ細目布令により収用土地細目に掲記されている各土地の分裂、および権利移転の状況をみると次のとおりである。

1 土地分裂からみた状況

(1) 明治三三年三月に土地分裂をした分

明治三三年三月に土地を分裂したものは石井清太郎所有の土地である。

東葛飾郡船橋町船橋一六六三番の二(同番の一より分裂)

同        一二四一番の三(同番の一より分裂)

同        一二二四番の二(同番の一より分裂)

同        一二二五番の二(同番の一より分裂)

同        一二三二番の二(同番の一より分裂)

であつて、

右各土地はいずれも土地台帳の記載によると、明治三九年六月二〇日内務省買上げ、同年六月二一日除租とあり、土地登記簿の記載によると地目公衆用道路、明治三九年六月二〇日受付明治三四年二月二六日買上により内務省のため所有権の取得登記がなされている。

(2) 明治三三年四月一三日に土地分裂した分

右同日分裂された土地は杉山ミキ所有の東葛飾郡船橋町船橋一六六四番の三の土地で同番の一より分裂、土地登記簿の記載によると地目公衆用道路、明治三九年五月三〇日受付、明治三二年一月一一日買上により内務省のため所有権の取得登記がなされている。

(3) 明治三五年三月二六日に土地分裂をした分

右同日分裂された土地は秋山周蔵所有の東葛飾郡船橋町船橋一二二六番の二の土地で、同番の一より分裂、土地台帳の記載によると明治三九年五月三〇日内務省買上げ、同年六月二一日前記1の各土地と同様除租、土地登記簿の記載によると地目公衆用道路、明治三九年五月三〇日(前記2の土地と同一日)受付、明治三二年一月二二日買上により内務省のため所有権の取得登記がなされている。

(4) 明治三九年二月二日に土地分裂をした分

右同日分裂された土地は次のとおりである。

ア 清川澄所有の

東葛飾郡船橋町船橋一二一七番の四(同一二一七番から分裂)

同        一二一七番の三(右同)

であつて、

右各土地はいずれも土地台帳の記載によると前記1の土地と同様、明治三九年六月二〇日内務省買上、同年六月二一日除租、土地登記簿の記載によると、登記原因である内務省買上日が明治三四年二月二六日であるが、登記受付日は明治三九年六月二〇日であつて、前記1各土地と同一日に内務省のため所有権移転登記がなされている。

イ 磯崎竹松所有の東葛飾郡船橋町船橋一六六二番の二で一六六二番から分裂、土地台帳、登記簿の各記載によると前記アの清川澄所有の土地と全く同一の処理がなされている。

ウ 先代磯崎勘兵衛所有の

東葛飾郡船橋町船橋一一七九番の二(一一七九番から分裂)

同        一一八〇番の七(同番の一から分裂)

であつて

一一七九番の二の土地(「本件土地」のこと)は土地台帳の記載によれば「三九年七月四日買上道路敷ニ付、同年七月六日除租ニ付左ニ掲記ス」とあるが登記簿の記載によると、地目公衆用道路、明治三九年六月一四日受付、磯崎勘兵衛のため所有権保存登記があるのみであり、一一八〇番の七の土地は「大正三年七月買上、同年同月三〇日除租」とあるが、登記簿の記載によると明治四〇年三月一一日受付、磯崎勘兵衛の家督相続人磯崎孝雄のため所有権取得登記、大正二年四月一四日受付、大正二年三月一〇日売買による京成電気軌道株式会社のための所有権取得登記、大正三年四月三〇日受付、同日付売買による磯崎勘兵衛のための所有権取得登記、大正三年七月七日受付、大正三年六月三〇日買上による内務省のためにする所有権取得登記がなされ地目が公衆用道路となつている。

2 買上げ除租、登記面からみた状況

(1) 土地台帳の記載によると

ア 明治三九年五月三〇日買上げ分は一二二六番の二(秋山周蔵所有)の土地

イ 明治三九年六月二〇日買上げ分は一二一七番の三および四(以上清川澄所有)、一六六二番の二(磯崎竹松)、一六六三番の一、一二二四番の二、一二二五番の二、一二三二番の二、一二四一番の三(以上石井清太郎所有)の各土地

ウ 明治三九年七月四日買上げ分は本件土地

エ 買上日不詳のもの一六六四番の三(杉山ミキ)の土地

となつているが、右(一)、(二)の各土地はいずれも明治三九年六月二一日に除租となつており、本件土地のみ同年七月六日除租となつている。

(2) 登記簿の記載によると

前記(1)エの土地は明治三二年一月一一日、前記(1)アの土地は同年一月二二日各買上げとなつているが、いずれも明治三九年五月三〇日受付により内務省のため取得登記がなされており、前記(1)イの各土地についてはすべて明治三四年二月二六日買上げ、明治三九年六月二〇日受付により内務省のために取得登記がなされている。

3 本件土地について

このようにみてくると明治三二年六月一六日細目布令による仮定県道改修用地の対象土地中本件土地のみが、土地台帳の記載によると明治三九年七月四日買上げ、道路敷に付同年七月六日除租に付左に掲記すると記載され、他の土地と異なる取扱がなされていること、本件土地の地積は当時六畝二六歩(六七九・八平方メートル)で改修用地中最大のものであつたこと、本件土地に継続する一八八〇番の七の土地は前記1(4)ウのような所有権移転の経緯を辿り、一八八〇番三の土地も全く同様の経緯をへて大正三年六月三〇日に至つて、内務省が所有権を取得していること、他の土地は登記簿の記載によるとその任意買収は現実には明治三二年一月頃なされたものであることからすると、本件土地については任意買収がなされなかつたものというほかはない。

4(1) また、先代勘兵衛はその所有の一一八〇番の二の土地を明治二七年四月九日付登記(同月七日付売買)によつて磯崎先代が総武鉄道株式会社に鉄道用地として売渡し、駅前広場用地として利用されたが、その後明治四〇年九月右鉄道は国により買収され国営となつたことにより、同年九月一日付買収により明治四三年九月九日付登記をもつて大蔵省に所有権移転登記がなされている。

それにも拘わらず右鉄道会社を国が買収する以前である明治三九年七月に本件土地だけを国が買収するということはいかにも合理的理由を欠くものである。

(2) 一一八〇ノ三、一一八〇ノ七の土地については停車場前広場として大正三年六月三〇日に内務省が買上げているが、それよりも八年も前たる明治三九年に本件土地のみを買上げるべき合理的理由を欠くし、かつもし本件土地が明治三九年に国により買上げられ、登記手続のみが違脱したとするならば、大正三年六月における一一八〇番ノ三、七の両地の登記手続において本件土地につき、国側又は先代勘兵衛の指摘によりあわせて登記をすることが可能であつたのに行なわれていない。

3 以上のように、彼此考えると、やはり、本件土地は、国に売り渡されてないものとみるのが相当である。

(三)  公物と時効期間の進行について

1 本件土地については、道路という公用制限が課せられており所有権の行使に制約が課せられているのであるから、その公用制限が解除されない限り時効期間は進行しないものと解される。

2 所有権者は、道路管理者としての国の占有を受忍していなければならない地位に置かれており、このような状態において国が二〇年間占有すれば取得時効が完成するというのは、時効制度の趣旨にももとり、信義則に反することになる。

3 したがつて、国は、公用制限による自己の管理、占有を取得時効の根拠として主張することができないものと解すべきである。

第三証拠(甲・乙両事件)<略>

理由

第一甲事件について

一  請求原因について

(一)  請求原因事実中、(一)の事実および磯崎が本件土地について昭和五一年四月一一日相続による所有権取得登記を経たことは、磯崎と県との間において争いがなく、先代勘兵衛が明治四〇年一月二七日死亡し、孫である磯崎(孝雄)がその法定家督相続人として、その権利義務を承継したことは<証拠略>によりこれを認めることができる。

(二)  請求原因(三)の事実中、1のうち、本件土地が明治三九年七月頃地目が道路と変更され、かつ、同時に地租が免除されたことならびに2および3の事実は当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば、本件土地は古くから公衆用の道路として一般公共の用に利用されており、おそくとも明治三九年頃(実際はもつと相当以前から)実際上道路であつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

二  そこで、県の抗弁(一)について判断するに、後記乙事件について認定するとおり先代勘兵衛は明治三九年七月四日本件土地を国に売却して所有権を喪失したものと認めることができるから、抗弁(一)は理由がある。

三  したがつて、磯崎孝雄の請求は、他に判断を進めるまでもなく、理由がなく、失当としてこれを棄却すべきである。

第二乙事件について

一  山田に対する請求について請求却下の申立があるが、後記認定のとおり、本案の請求について判断しうるから、その申立は失当である。

二  売買の成否について

(一)  先代勘兵衛が本件土地を所有していたことは、当事者間に争いがない。

(二)1  本件土地の旧土地台帳は、国主張のような文言が記載されていることは、当事者間に争いがなく、右記載された文字、態様などからみて、その文言は明治三九年当時記載されたままであると推認することができるから、右事実によれば、国が本件土地を先代勘兵衛から買い受けたものであると十分推認することができる。

2  <証拠略>を総合すると、請求原因(一)の3の(1)ないし(4)の事実を認めることができる。

そうだとすれば、本件土地は、本来、土地収用法によつて収用されるべき土地であると表示されたが、結局、収用はされなかつたものであるところ、したがつて、後記のとおり、本件土地が古くから公衆用道路として使用、利用されていることからみれば、国においてなんらかの権利取得ないし設定がないかぎり、不法の状態で道路の用に供することになり、通常そのような形態での道路の使用は考えられないから、前記1の事実からみて、強制収用によらずにやはり売買により国において本件土地の利用権(所有権)を取得したうえで、道路に供したものとみるのが、より合理的である。

3(1)  <証拠略>によると、請求原因(一)の4の(1)および(2)の事実を認めることができる。

(2) 磯崎が家督相続により取得した合計九筆の土地(未登記)のうち、本件土地だけが、他の八筆の土地と異なり、そのままに放置してあつたということは、なんらかの理由があつたためでないかと考えられるところ、本件土地が国にすでに売却されていたとすれば、本件土地だけ他の土地と異なり登記をせずに放置していたということの説明もつけるのである(もちろん、登記を放置していたことのみから、右のようなことはいえないにせよ、本件では他の諸事情を総合勘案すると、右のように説明すると、一つの筋道の通つた説明がつくということになる)

4  <証拠略>によると、本件土地だけが明治三九年六月一四日に先代勘兵衛に保存登記されたが、同人の所有していた前記八筆の土地はこの時点ではすべて未登記であることが認められる。

そうだとすると、本件土地だけ、先立つて先代勘兵衛名義に保存登記をする必要があつたものと推測されるところ、国の主張する本件土地の売買が旧土地台帳に買上げと記載された日時である明治三九年七月四日の一月未満の時期においてなされたことは明らかであるから前記認定の諸事実からみれば、結局、むしろ、本件土地の売却を含みとしての保存登記で、そのため他の未登記の土地に先立つて保存登記のされた理由であるとみるのが、一つの合理的な見方といえよう。

5  <証拠略>によれば、本件土地は古くから公衆用の道路として一般公共の用に利用されており、明治三九年頃よりもはるか以前から実際上道路として利用されていたことが認められる。

そして、<証拠略>によれば、本件土地を含む道路について千葉県知事が大正九年四月一日旧道路法(大正八年法律第五八号)第一一条により県道二七号線船橋停車場線として路線認定をし、同年七月九日同法一九条によりその道路の区域を決定し、爾来正式に道路として、一般公衆の用に供されていることが認められる。

6  右の1ないし5の諸事実を総合すると、国は、先代勘兵衛から明治三九年七月四日本件土地を買い上げたと認定するのが一番合理的である。これらの諸事実の個々の事実は国の買上げを認めるには足りない一つの徴憑事実かも知れないが、全てを総合的に勘案すれば、たとえ後記7または(三)の1ないし4の事情があつたとしても買上げの事実を推認するのが一番経験則に合致するものである。

7  国は、本件土地の買上げについて、代金額などを明確にすることができず、かつ、その買上げに伴う書類などを証拠として提出していないが国の買受時期が明治三九年七月四日というきわめて古い時期であることを考えるとこのことは、必ずしも、売買の成立の認定の妨げになるものではない。

(三)1  <証拠略>を総合すると、磯崎孝雄、山田敏夫両名が反論(二)の1の(1)ないし(4)(ア、イ、ウ)および2の(1)(ア、イ、ウ、エ)および(2)の諸事実を認めることができる。

2  <証拠略>によると、本件土地の地券を磯崎において所持し、本件土地の国への所有権移転登記のされていないことが認められる。

3  <証拠略>によれば、本件土地は、関東財務局に備えられている国有財産台帳には、昭和五二年八月二六日現在国有財産として記載されていないことが認められる。

4  右の事実によると、国が売買により所有権を取得したことに若干の疑念が残らないでもなく、とくに、他の周辺土地が(時期は別として)国へ所有権移転登記のされているのに、本件土地だけ残されているのにひときわ疑問が残るけれども、前記認定の(二)の諸事情と対比勘案してみると、やはり、国と先代勘兵衛との間の売買が成立したものと認める方がより合理的であり、少なくとも、この点について合理的な疑いをこえた心証を得ることができるというべきである。

(四)1  右の点と関連し磯崎らは旧土地台帳の記載の「道路敷買上げ」の記載は地租の免除の理由づけとして記載された便法にすぎないというが、<証拠略>によると、「公衆ノ用ニ供スル道路」については実体に即して地租が免除されたのであり、そのためには、本件土地の旧土地台帳のようにわざわざ「買上道路敷」とまで記載するに及ばなかつたことが認められるから、この点の磯崎らの主張は採用しがたい。

2  <証拠略>によれば、勘兵衛(磯崎良次、先代勘兵衛のあとをついだ磯崎孝雄の継父)の事業失敗のあとその負債整理のため昭和七、八年頃、先代勘兵衛以来の不動産を多数処分したことが認められるところ、当事者本人磯崎孝雄、同山田敏夫は、当時磯崎孝雄は本件土地が残つていたことを知つていたということを述べるが、この部分の供述はにわかに信用しがたい。むしろ、<証拠略>によれば、船橋市から昭和四三年六月本件土地について下水道の受益者負担金の問題から本件土地が国へ所有権移転登記のされていないのではないかと知り、これをのちに親戚にあたる山田敏夫に話し合つたことから、本件土地が依然として先代勘兵衛名義であることを知り種々検討のうえ、弁護士に事件を依頼して、本件に至つたものと認められるのであることが認められる。

(五)  以上説述したとおり、国は、明治三九年七月四日本件土地を先代勘兵衛から買受けて、所有権を取得したものと認めるのが相当である。

三  請求原因事実中(三)の1については、当事者間に争いがなく、そうだとすると、磯崎孝雄に対する本件土地の売買を前提とする本訴請求は理由がある。

四(一)  請求原因事実中(四)の1は、当事者間に争いがない。

(二)  代物弁済予約契約については、当事者本人磯崎孝雄、同山田敏夫の各供述によれば、その存在を認めることができる。

(三)  通謀虚偽表示の主張について、これを認めるに足りる証拠はない。

(四)1  <証拠略>によれば、前記のとおり磯崎孝雄は昭和四三年六月船橋市からの下水道受益者負担に関する通知に基づいて本件土地について下水道事業受益者負担に関する申告書を提出したが、本件土地が国へ所有権移転登記がされず、依然先代勘兵衛になつているのではないかと思い、かつ、自分が本件土地の地券を有していることからかなりたつてから(山田敏夫の本件土地の行動の日時からみて数年を経ているだろう)、本件土地について親戚に当たる山田敏夫に対し相談した結果、昭和五〇、五一年頃になつて山田敏夫も調査に動き出し、調べたところ、本件土地の位置などが分らなかつたから、弁護士阿部三郎に事件を依頼し、本件土地の登記簿を閲覧して、登記名義人が依然として先代勘兵衛名義であることを確認するとともに間もなく本件土地が国鉄船橋駅前の道路に該当することが判明したことから山田敏夫は磯崎孝雄に相談して、本件土地について一切を自己に委せて貰うこと、そのための費用は山田において負担することを確認したうえ、山田自身が費用を捻出してまず、百数十万円の登記費用を負担したうえ、昭和五一年四月二一日付で磯崎孝雄あての相続登記をし、ついで、本件土地のための立替費用が多額に及ぶことが予想されたので、磯崎孝雄との間で昭和五二年五月一一日付で継続的金銭消費貸借取引を結び、その債権担保のため同年五月一一日根抵当権設定契約を結び、同日その旨の設定登記を経るとともに、また山田の権利保全を確実にすべく同日付代物弁済予約を結び、同年六月三日本件仮登記を経由したこと、本件土地の処理については磯崎孝雄は一切を山田に任せ山田は磯崎代りに全てを取りしきり本件土地の権利が確保されたあとの処分も山田が一切の権限を有すること、山田は弁護士阿部三郎に本件土地の事件処理について常時連絡を受けており、弁護士阿部三郎が昭和五二年二月二日付で千葉県知事あてに出した内容証明郵便同年二月二五日付の千葉県知事からの同弁護士あての返書も(本件土地の旧土地台帳の写とともに)当時これを知悉していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

2  右認定した事実によると、山田敏夫が本件土地について磯崎孝雄の相談に応じ、かつ調査に従事しはじめた頃はとも角として、磯崎孝雄から本件土地の一切をまかされ多額の資金を立替えて相続登記をした頃から、むしろ純然たる第三者の地位を離れ、むしろいわば磯崎の身代りとして自ら積極的に行為したものといえる(その動機は必ずしも明らかではないが、本件土地の位置が船橋駅前の大通りの道路という繁華街にあるということから、金銭的利益を図ることが大きな原因であつたろうと(経験則上)推測される)。そして磯崎のため消費貸借を結び本件仮登記、本件根抵当権設定登記などを経由した昭和五二年五、六月頃は、本件土地の旧土地台帳について国の買上げの記載がされ、かつ、県からのその移転登記の協力方の依頼のあることを知悉していたのであり、いわば自ら国の権利取得の問題があるのを知りながらあえて火中の栗を拾おうとして本件仮登記、本件根抵当権登記を経たものであることは、明らかである。

したがつて、山田敏夫はいわゆる背信的悪意者に該当するというべく国の所有権移転登記がないことをもつて、その対抗力がないことを争えない地位にあるものと認むべきである。

国の背信的悪意者の主張は理由があり、したがつて、国は移転登記がなくても所有権の取得を山田に対し主張することができるものというべきであるから、国は山田に対し本件土地の所有権に基づき本件根抵当権登記と本件仮登記の抹消登記を求めることができる。

五  以上説述したところによれば、乙事件の国の請求は全て理由があるから、これを認容すべきである。

第三結論

以上説述したところから明らかなとおり、乙事件原告国の請求は全て理由がある(但し所有権移転登記請求は選択的請求であるから、売買による所有権移転登記請求について)から、これを認容するが、甲事件原告磯崎の請求は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 奈良次郎)

別紙物件目録 <略>

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